続々鬱な日々


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はじめに

この日誌は、「続・鬱な日々」の続編のようで、正確には趣が異なる。

1年かかった通院生活の前半を「鬱な日々」に記し、40日余の入院生活を「続・鬱な日々」に記した。その間、病名は「鬱病」、「抑うつ神経症」、そして最後は、「アルツハイマー病の疑い」に変わった。

鬱病は、治る病気で、私の場合、判断のまずさから、転院時機を逸したため少々余計にかかってしまったが、現在時点では、すでに症状はなくなったといえる状態と思う。

しかし一方、入院中の検査で、脳の萎縮が見つかり、抑鬱症状も、脳の原発性変性症が原因になっていたのではないかという疑いを告知された。

なぜ「疑い」で、確定診断でないかと言えば、萎縮があるからといって、それが脳の原発性変性症である確証にならないからである。進行するかどうかが問題なので、過去のデーターがない現時点ではなんともいえず、将来にわたって、監視を続けなければ、実際に進行するかどうか、調べる方法がないという実情がある。

脳の原発性変性症には、アルツハイマー病、ピック病、レビー小体病などが含まれるが、いずれも進行性で、今のところ治療法はない。

確定診断がつかず、もし診断がついたところで、治療法はなく、予後も人により、様々だということになる。

唯一、アルツハイマー病に「痴呆」を、遅延させる薬剤として、ドネペジル(商品名:アリセプト)があるが、これは、対症療法として、有効なことがあるのみで、効かない症例も多く、もとより萎縮の進行をとめたり、病気そのものを直す根治療法とはならない。

せっかく、鬱病が治ったと思っていたところに、まさに青天の霹靂を食らった感がある。この文を書き始めるのに、退院後、日数を要したのは、私の気持ちが整理できず、また、この先、いつまで書きつづけられるかまったく見当がつかなかったせいもある。

時間が経つにつれて、はっきり分からないことにばかり気をとられて、もしかすると残りあとわずかな、「正気の時」を無駄にすることは、ばかばかしいという気持ちと、まだ進行性と決まったわけでなく、このまま何の症状も出ない可能性もあることを、少しずつ取り込み、自分の一部として、それを許諾する用意ができてきた。

書けるまで、書いてみよう。そう思うようになった。今までは、「鬱病」という病気との闘いだったが、この先は、「先が見えない状態」という、自分との闘いになった。

続く⇒


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