再々鬱な日々 2004年3月〜


「鬱な日々」入り口

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2004年3月18日

はじめは、インフルエンザに罹ったのかもと思った。

でも、熱は出ないし、咳も出ない。ともかくすべて「かったるい」のだ、起き上がるのがかったるい、食事のために箸を持つのがかったるい、食べるのはもっとかったるい…

内科に行こうか、精神科に行こうか迷った。

結局精神科に行った。

医師:

私:「一体どれくらいの期間休めばよいですか。

医師:

私:「今とても忙しい時期なんです。そんな長期に休むのは無理です。

医師:


きつい宣告だった。でも真心だと思った。2002年6月に入院した時は、もっと早く入院すればよかったと後悔した。

今回はどうなんだろうか?「これ以上悪くなれば、入院」というのは、いま、入院した方が、早期復帰に良い状況なのだろうか。

自分のことなのに良くわからない。前回の入院は、

だから、入院の目的は、「仕事から完全に離れ、休養する」と言うことになる。それが出来るなら、家にいても同じだ。私は家で、仕事から完全に離れ、休養することが出来るだろうか?


2004年3月20日

咳が出る。風邪をひいたかと軽く考えていたら、喘息の発作になってしまった。β刺激吸入薬のサルタノールを吸入しても、発作が収まらない。

これまで、軽い発作は何回かあったが、サルタノールを吸入すればすぐ収まった。

苦しくて横になれず、座った姿勢で息をする。息を吐くのは、まだいいのだが、吸う時はまるで細いストローで吸っているように感じる。

3月21日深夜、2:00am。爪が紫色になってきた。妻は電話で救急車を呼んでいる。息子は、スポーツ店などで売っている簡易型の酸素吸入器をセットしてから渡してくれた。買った時は

救急隊員が、本式の酸素吸入器をセットしてくれたので、救急車に乗ったときは既に苦しさはなくなっていた。病院に着き、胸部X線撮影と、緊急血液検査、ステロイドの点滴をしてもらい、タクシーで7:00am帰宅。

大したことなく良かったと思う反面、もし一人きりだったら、死んだかもしれないと思う。


2004年3月25日

精神科に通院する。予想以上に回復しているので、ストレスの原因は、やはり仕事だと言う。でも、私は今の仕事が好きで、ストレスになっているとはあまり思わない。

その話をすると、


酒好きでも、際限なく飲み続ければ二日酔いになる。普通は何回かそうなれば、

先週きた時は、「昏迷」寸前でしたよ。意識はあるのに、話し掛けても、返事もしなくなってしまうのです。


月曜日から半日職場に復帰しようと思う。それで、よければ定時まで…

うまく定時に帰れるかなあ。それが問題なのは分かってはいるんだけど、「けり」が付くまでどうも続けちゃうんだよなあ…


2004年11月9日

  2人だけの会社で2002年8月の退院以来働いてきた。それまでいたスタッフは、全員解雇せざるを得なかった。残ったのは私と社長だけなので、開発はそれ以来1人きりとなってしまった。ちょっとしたものを試作し試験するのも、スタッフなしなので自分手作らなければならない。効率が悪くきつい仕事だった。

ついにまだうつ病が悪化し、入院することになった。2002年6月と同じ病院の同じ病室に入った。スタッフの人たちは、前とほとんど同じメンバーだった。患者も知った顔が何人もいた。

スタッフのうち前回は、患者にずいぶん横暴な態度で接していた人も、丁寧に接するようになった人もいて、看護の仕事は人を成長させることに改めて驚いた。ただ、今回の入院は前回のように治療の決め手がなかった。前回は、それまで試したSSRI, SNRIとは違う三環系、四環系の抗鬱薬からよく効くものがないか探す目的があった。そしてトリプタノールが箸効を示して退院した。

今回もまだ試していない抗鬱剤がないわけではなかったが、主治医はそれを試さず状況を見ているだけだった。前進する様子のないまま、時間が過ぎ、病状はそれほど変わらず、会社の経営はますます危機的になってきた。

このまま入院していてもしょうがない。11月29日、自分から退院した。


2004年11月29日

 よくなって退院したわけではないので、自分で何とかしなくてはなるまい。自分でトリプタノールよりもよく効く抗鬱剤を探すことにした。

triring

上図は、三環系抗鬱薬の構造式である。アナフラニールで躁転を起こしているので、構造がほとんど同じのトフラニール、スルモンチールは、リスクが大きい。トリプタノールに極めて似ている、ノリトレン、プロチアデンは、効き目も似たりではないだろうか、などと考えながら、アモキサンに賭けてみることにした。


2005年1月5日

 アモキサンはよく効いた。しかし会社の状況はますます悪くなってきた。もはや限界である。私は社長にもうこれ以上続けられないことを告げ、社長は自己破産する決心をした。


2005年1月15日

 私は新しい別の職場で働きだした。電車通勤、大勢のスタッフ、ネットワーク管理という仕事。今までと環境が激変した。最初はうつ病が吹き飛ぶぐらい元気いっぱいだったが、徐々に不安に襲われるようになった。

急激に環境が変わりすぎてまたうつ病を悪くさせてしまったのだ。


2005年2月23日

 朝になっても会社に行く支度ができない。電話をして休んだ。翌日も出勤できなかった。2月25日にかかりつけのAクリニックで受診し、最低でも一ヶ月は休むように言われた。取り合えずメールでその旨を報告した。翌週の3月1日に私物を会社にとりに行き打ち合わせをする。まだ試用期間中である。失職するかと思ったが、静養を許可してもらえた。


2005年3月24日

 当初の一ヶ月が過ぎた。状況は思わしくない。主治医は、入院を視野に入れて静養を続けるように指示した。3度目の入院が目前に現れすぐには決断できなかった。しかし今まで、後手後手に回って回復を遅らせている。やはり入院すべきだと思い3月27日に紹介状を書いてもらった。

改めて、しばらく見ていなかったWeb上のうつ病情報を検索してみる。呆然とした。m-ECT,(麻酔をかけて電気ショック療法を行う) 、TMS(経頭蓋磁気刺激)を行っている大学病院がある。すぐに主治医にお願いして紹介状を書き直してもらった。

続く⇒


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