又々・鬱な日々2006年8月


「鬱な日々」入り口


2006年8月1日火曜日

朝1番、採血があった。血中のリチウム濃度を測るためらしい。いつもより遅れて6:50散歩に出かけて7:10に病棟に戻る。今日は妻が面会にきてS先生と今後の治療方針について話し合う予定だ。

S先生は少し遅れて10時30分ぐらいにいらっしゃった。リーマスの量は、今のままか600mg まで上げるか今朝の血液検査で判断する。

その後mECTをかけトリプタノール150 mg+リーマスを維持薬とする。私はこの組み合わせはあまり効いていないように思うが主治医のS先生も妻も効いていると判断している。

2002年の7月抗うつ剤を探している最中、トリプタノールを飲んだ時には2−3日でこれ治るという感触があった。今回はそれがない。あの心の中で霧が晴れていく感じがない。

3カ月ぐらいでmECTの効果は消えてしまう。その後は維持薬のみが頼りだ。

適当な維持薬が見つからなければmECT維持療法しかない。mECTをかけてしまうと抗うつ剤の効果を試すことができなくなる。結局もう一剤だけ試してそれがだめら、今の処方を維持薬とする。もう一剤の方が良ければそれを維持薬とすることとなった。7月25日一旦2-2-2-2で200mgたトリプタノールを2-2-2-0の150mgにしたのは心電図に異常があったらとのこと。

本日から処方に変更があった。

寝る前
スルピルド25 mg 1 1 1 0
デパス1 mg 1 1 1 0
マグラックス330 mg 2 1 1 0
トリプタノール25 mg 2 2 2 0
リーマス100 mg 2 2 2 0
フルニトラゼパム2mg 0 0 0 1
ヒルナミン5mg 0 0 0 2

リーマスが400 mgから600 mgに増加した。


2006年8月2日水曜日

ふつう毎週木曜日に行っているシーツ交換も、人手の関係で本日行うそうだ。

患者は部屋から出てまっているだけなのだが看護師さん、ヘルパーさんたちは重労働だ。ボックス型ではない1枚布のシーツを折り目正しくベッドメーキングし、毛布カバーを取り換える。約40人分繰り返す。


昨日ズボンにウスターソースのシミを作ってしまった。液状洗濯洗剤を使うのは初めてだが、シミの部分に原液をつけてつまみ洗いしたらきれいに取れた。でも今度は洗剤が残っていないか気になり、本日他の物と合わせて洗濯した。30Lに付き40mLと書いてあるので本当にそんな少量で良いのかと迷いながら従ったところ、きれいに洗いあがった。洗濯用洗剤もずいぶん進化したものだ。


そろそろシャンプーもなくなってしまうので買いに行った。ポンプ式のボトルと詰め替え用のものと比べるとずいぶん差がある。

98円でポンプ付きビンを売っていたので空き瓶と詰め替え用のメリットシャンプー448円を買ってきた。計546円。ポンプ付きのものは658円で112円得した。


2006年8月3日木曜日

S先生に8月1日の血液検査の結果を聞きに行った。検査当時リーマス(炭酸リチウム)が400 mg/day。だったのに対し血中濃度0.31mmol/Lだった。目標値の約半分がそうだ。現在600mg/dayのリーマスを飲んでいるがさらに増量が必要とのこと。

血液検査ではほかにGPT 47U/L、γ-GTP 87U/Lと軽度の肝機能障害が軽度な肝臓障害が見られること、経度の貧血の見られること。

いずれもすぐに対処が必要なわけではなのが所見としては以上標準値から外れたものなんがあるというだった。


入浴時に体重計ったら58.6kg。7月32日より004キログラム減少した。


2006年8月4日金曜日

今朝から処方に変更があった。

寝る前
スルピルド25 mg 1 1 1 0
デパス1 mg 1 1 1 0
マグラックス330 mg 2 1 1 0
トリプタノール25 mg 2 2 2 0
リーマス200 mg 1 1 2 0
フルニトラゼパム2mg 0 0 0 1
ヒルナミン5mg 0 0 0 2

血液検査結果を受けててリーマスが日量600mgから800mgに増加している。いつもより長い7日分の処方になっている。維持薬のパターンのうち1つの最終処方になったわけだ。


2006年8月5日土曜日

昨晩ラキソベロン(下剤)を7月14日の教訓を踏まえて15滴に減らして飲んだが、まだ多過ぎのようで午前3時から下痢になってしまいその後3回も便意を催しよく寝られなかった。

この辺のさじ加減も難しい。マグラックスを2-2-2-1-0と飲んでいるが2-2-2-0とすると下痢になる。2-2-1-0だとたまに詰まってラキソベロンの登場となる。ラキソベロンは20滴では多過ぎるのは明らかで、15滴でも多すぎた。次は10滴を試みてみようと思う。

入浴時計った体重は58.8 kg。8月3日より0.2キログラム増加してしまった。4月27日に59.2 kgになってから59.2 kg付近で低迷している。小盛りのご飯を半分だけ食べる方法では、この辺が限界かもしれない.。

午後爆睡してしまい11:30から15:30の記憶がない。昼食後の薬を飲んだか記憶が曖昧なので看護師さんに確認したが飲んでいるとのこと。これほどよく寝たのは久しぶりだ夜も睡眠薬なしでも寝られればよいのだが。


2006年8月7日月曜日

入浴日で体重を計った。8月5日と同じ58.8 kg。59 kgの壁は厚いようだ。本日トイレに入ってペーパーホルダー付近に「トイレットペーパーは残りが少ないほうを使ってください。」というテプラで作ったメッセージが張ってあった。4月23日付近に私が「患者さまの声シート」で提案したものが反映されたものだが、今度はずいぶん遅い。トイレットペーパーを使いきるにはペーパーホルダーを2つずつ取りつければよいという提案をしたのが7月18日、これが実施されたのが7月21日。実施状況を見て、これが多い方から使う人もいるようなので、「少ないほうを使ってください」と張り紙する提案をしたのが4月23日で実施されたのが8月7日。この差はご意見箱を開くのは不定期で気がついたときに取り出すことになっている可能性を示している。

S先生に手紙を書いた。もう一つ抗うつ剤を試すことになっているので、その選定はロフェプラミン、トリミプラミン、イミプラミンから選んでほしい。ひとつだけの約束なのでとロフェプラミン希望するといった内容だ。

抗うつ剤選びは難しい。有効、無効、副作用の強さが人によって異なるので実際に飲んでみないと判定できない。しかも飲み始めてから2週間程度は様子をみないと効かない物がほとんどだから最適なものさがすのには長時間かかる。

mECT(修正型電気痙攣療法)を行えばすぐに効くことは分かっている。しかし時間がたつにつれ効力が下がり、最終的には維持薬だけの効力になってしまう。いわゆる電気切れだ。そんなことよりはよく効く抗うつ剤を探して服薬すればmECTを受ける必要もなく電気切れもない。

基本はやはり薬物療法なのだ。mECTを受けてしまえばしばらくの間抗うつ剤探しはできない。そのためmECTを先延ばしして抗うつ剤探しをしている。


2006年8月8日火曜日

朝、散歩に出たら豪雨だったので渡り廊下を歩いた。それでも所々雨が吹き込んだり雨漏りがして濡れたので1往復して病棟に戻った。

昼食時にSPECTという検査に呼ばれた。テクニチウムを注射して脳の血流を断面画像で見る検査だ。

2002年に埼玉医大付属病院で若年性アルツハイマーと誤診されたときSPECTで全体的に血流が少ないことが根拠のひとつとなった。

あれから4年たっていたが今でもそう違いはないだろう。また病的に血流が少ないと騒ぎになるだろうか。

検査が終わって病棟に戻ったのは12:30、昼食は11:30からなので、伸び切った焼きうどんを1人きりで半分だけ食べた。

こうして主食を半分だけ食べて59 kgをキープしているが、もし普通盛りを全部食べたら何kgになるのだろうか。7月11日から7月15日の4日間で1.4 kg太ったのがダイエットを始めるきっかけだが、あのまま食べ続けているとどこまで太ったのだろうか。70 kg台は軽いだろう。

一方59 kg付近で止まっているダイエットを推進するにはどうしたらよいだろう。主食を半分から4分の1にする。主食を食べない。とう結構過激な手段もあるが続けられるだろうか。おかずを減らすのは栄養バランスが崩れてしまうのでやめた方がよいと思う。


17:30ごろS先生がいらして血中リチウムの濃度をもう一度測定する旨を伝えられた。私が手紙で希望したトフラニールでもリチウムが十分なら躁転のリスクはないのでやってみるとのことだった。

S先生が躁転を気になさっているのも当然だ。

話題になっている薬物の構造式を示す。

一般名 主な商品名 構造式
クロミプラン アナフラニール
イミプラミン トフラニール
トリミプラミン スルモンチール
ロフェプラミン アンプリット
イミノベンジル環

すべてイミノベンジル環という基本構造を持っている。


アナフラニールで躁転したのなら、これら類似物質でも躁転を起こす可能性は高い。でもリーマスを十分量飲んでいれば躁転はしないだろうというものだ。


夕食時、看護師よりホールのテーブルの上に、箸箱などの私物を放置しないようにとの注意があった。私も箸箱を放置していたが本日から持ち帰る。


2006年8月9日水曜日

今日は雨。渡り廊下を2往復して散歩とした。

内服薬自己管理という制度が始まる。今までは、早いもの順で列を作り看護師に名前を言うと看護師が薬箱から必要な薬を患者に渡し、その場で薬を飲むという手順だったが、患者が薬を保管し、時間になったら必要な薬を持参し、看護師の前で内服するという手順に変わる。(パターン2)

新制度へ移行するのは主治医が許可した場合で、管理できない人、例えばオーバードーズの危険性などがある人などには許可が出ず今まで通りに看護師が管理する。

「内服薬自己管理は退院後も処方通りに服薬を続けていただくことを目的として行っていだきます。」となっている。

今日はオープンレクチャーがあった。N先生が「ストレスと対処法」という題目で自分でできるストレス緩和法を軸にして具体的な対象をM Sアプローチでまとめた説明だったが画面に表示されたものを、そのまま棒読みするだけだったのは残念だった。

2日間便通がないとラキソベロンという液体の下剤を飲むことになっている。私も4月17日に20滴、8月5日に15滴、そして昨夜10滴を飲んだ。20滴、15滴は夜中に下痢になってしまった。10滴では不足で今日も便秘している。今日は何滴にしてもらうか14滴にしてもらおうか。

…と書いている間に便意をもよしトイレに駆け込んだ。10滴は最適だったのかもしれない。


2006年8月10日木曜日

朝1番、採血した。血中リチウム濃度を確認するためだ。十分量のリチウムが入っていれば抗うつ剤の変更を行う。

入浴日で体重の計測をした。いつも使っているのではなく、別の体重計なので器差ある可能性があるが59. 2 kg。8月7日に比べて0.4kg増だった。

昼食中、普通食とは別にダイエット食というものがあり主治医の指示で変更可能との話を聞いた。早速、S先生にダイエット食へ変更していただきたい旨の手紙を書いて看護師に預けた。これが59 kgの壁を突き破るきっかけとなると良いのだが。

8月11日から開始する処方箋が届いた。

寝る前
スルピルド25 mg 1 1 1 0
デパス1 mg 1 1 1 0
マグラックス330 mg 2 1 1 0
トリプタノール25 mg 1 1 1 0
リーマス200 mg 1 1 2 0
トフラニール 1 1 1 0
フルニトラゼパム2mg 0 0 0 1
ヒルナミン5mg 0 0 0 2

トリプタノールが150mgから75 mgに減り、トフラニールが75 mgが加えられた。処方は11日分となっている。

S先生によればトフラニールの投薬については医局でももめたそうだ。アナフラニールでも良いのではないかという意見もあったが、最終的にはトフラニールで行こうということになったとの話だった。

ダイエット食については1600k calにするよう栄養部に連絡してあるとのこと。S先生は休暇をとって来週は不在になる旨の連絡があった。

今日傷病手当金の第2回請求書を勤め先に送った。


2006年8月11日金曜日

ダイエット食の開始。どんなメニューになるか期待したが朝食は普通食と同じだった。昼食夕食はどうなるのだろう。後に記す。


昼食には小さな違いがあった。


普通食 ダイエット食
ロースキャベツ2個
食パン2枚 コッペパン2個
レタス・きゅうりの和え物
イチゴミルク ヨーグルト
バナナ1本 バナナ1/2本
ピーナッツバタージャム イチゴジャム


今日はオープンレクチャーがあった。3回目になる心理療法士I先生の講演で、認知行動療法について前回より具体的にコラム法をのワークシートを示しての講演だった。I先生の話は毎回わかりやすく、聞いていて楽しい。


夕食後のにはご飯、真鯛照り焼き、甘酢ショウガ、ダイコン新田煮、ホウレンソウのゴマあ

え、までは共通で、ダイエット食にのみ生オレンジがついてきた。

もっとも私は禁魚なので真鯛照り焼き、甘酢ショウガの代わりに、ミニハンバーグ2個とサヤエンドウがついてきた。あれで本当に1,600 k calタオルを000 aなのだろうか。どうも怪しい。ダイエット食の方が品数の多いというのもよくわからない。


両手小指が震戦している。原因はよくわからない。リーマスの副作用だろうか。


2006年8月12日土曜日

昨日小指の震戦のことを書いたが去年の12月から続いていた左手薬指のしびれが治っている。それとこれはトリプタノールの減量のためと思うが口渇が少し和らいだ。


入浴日なので体重測定をした。58. 8キログラム。59kgの壁は相当強い。

7月27日に59. 2キログラムになって以来、少数十分の1の位を四捨五入すろと59 kgになる日が17日間続いている。7月15日に体重が61. 4キログラムで7月11日の入院時より1 kg増となったため始めたダイエットが7月20日には60.0 kgと入院時により0. 4 kg現象した。その後も7月27日59. 2 kgと順調に下がってきたがその後は59 kgの壁で止まっている。ダイエット食たが大差ないようだ。

ご飯は4分の一程度を食べている。入り口のやるべきことはやったと思うが、出口側の運動量が足りない。まず30分以上散歩しているがこれでは不足だろう。午後にも30分以上買い物兼散歩に行こうか。しかしスーパーマーケットをコースに出ると、つい甘いお菓子を買い食いしてしまいそうだ。とりあえずダイエット食にご飯4分の1を続けてみよう。


2006年8月13日日曜日

昨夜ちょっとしたもめ事があった。食器用の漂白剤を毛布カバーの上にこぼしてしまった。そのままにしておくとを穴が開いてしまう。

洗濯機はホワイトボードに朝6:30から早い者順に名前と室番を書き、洗濯が終わったら次の人に声をかけることになっている。

そのボードを見ると「毎日夜6時半からYが使います。よろしく」と記してある。18:15なのでかぶるがこちらも火急の用だし書き込みは約束ごとを破っているのでの無効だ。洗濯を始めた。

18:30になると「洗濯しているのは誰ですか」と目を3角にしてわめいている女がいる。「私です。」というと「6時半から使うと書いてあるのになぜ使っている。」とすごい剣幕で怒っている。「洗濯順番表の書き込みの約束ごとを守っていない。」と言っても、「自分は病院から仕事に通っていて昼間は洗濯できないからそう書いてある。」と勝手なことを言って話し合いにならない。看護師さんが間に入ってくれてとりなしてくれた。

今朝、担当看護師のNさんに会うと「昨夜は大変でしたね大丈夫ですか?あんな書き込み消しちゃえば良いのよ。」全部申し送りされていて驚いた。さらに洗面所の選択順番表みると、「毎日夜6時半から」が消してあり、「Yが使います。よろしく」だけが残っている。Nさんの行動力にも驚いた。私が消したと逆恨みされなければよいのだが。


ホールの本棚に「国立精神神経センター武蔵病院医薬品集第7版2,003年」という冊子がある。

アンプリット、スルモンチールは入っていない。

リストにのっていない医薬品を使用するには所定の用紙にて申請書を作り、部長の承認を得て、薬剤部長、薬事委員会委員長を経て院長に申請するという手順を取らなければならない。

すぐ使える三環系抗うつ剤はトフラニール、アナフラニール、アモキサンしかないのが実情なのであった。

私が書いた手紙ではアンプリット、スルモンチール、トフラニールを試したい。でも1個だけの約束なのでアンプリットを試してみたい旨だったが、手駒はトフラニールしかなかったのであった。

もめたというのは、

1. 躁転して禁忌のアナフラニールをリチウムの安定剤としての働きを信じ投与する。

2. トフラニールを試す。

3. 手順を踏んでアンプリットを導入する。

の三択だったのだろう。

そして1番無難な「トフラニールを試す」になったのだろう。

国立精神神経センターだったら国内で使用できるすべての抗うつ剤を持っているだろうと考えたが、それが間違だったのだ。全部といっても2,004年10月現在、17種類しかないのだが。

まあそうして現時点ではトリプタノール75 mg/day、トフラニール75 mg/dayの移行期間の3日なのだが気分は上向きで調子が良い。少なくとも7日たたないと薬の効力は分からないがとりあえず口渇など副作用は軽減している。移行期間は11日で異常なしならトリプタノール0 mg、トフラニール150 mgにする。

そうして7−10日様子は見て問題がなければ退院だ。

mECTを受けるつもりで入院したが、S先生のおかげで抗うつ剤+リーマスと、いう今まで試していなかった方法を使い薬物療法のみでコントロールできる可能性が出てきた。

ありがたいことだ。

でもこれって手元にある、山田和夫,抗うつ薬の選び方と使い方,南江堂(2004).に書いてあるセオリーなんだよねぇ。どうして今までかかわった医師は、この方法を使わなかったのだろう。

私も、この本を読んでリーマスが有効だと知っていながら、「リーマスを使って下さい。」と言わなかったのだろう。

私の場合は有効と書いてあっても使用経験がないからどれほど有効なのか、わからなかった。他の医師たちは、どうして使わなかったのか分からない。


2006年8月14日月曜日

入浴日で体重測定をした。58. 2 kg。ついに59 kgの壁を破った。今度は58kgの壁があるのだろうか。それともすんなりとなめらかに下降線を描くのだろうか。だいたいどういう機構で壁が発生するのだろう。謎は尽きない。


洗濯順番表だがYは性懲りもなく、

「仕事のため毎日18;30〜」と書き込んだ。

かかわりたくないので何もしていない。


分類 一般名 主な商品名 発売年度 使用の有無とコメント
第一世代 三環系 イミプラミン トフラニール 1959 ○現在移行中
アミトリプチン トリプタノール 1961 ○2002年入院中に使用し著効、今はあまり効かない。
トリミプラミン スルモンチール × 1965 ×
ノルトリプチリン スルモンチール × 1971 ×
クロミプラミン アナフラニール 1973 ○2002年、入院前に使用、躁転した
第二世代 アモキサピン アモキサン 1980 ○2004年トリプタノールの効きが悪くなったと感じ使用
ロフェプラミン アンプリット × 1981 ×
ドスレピン フロチアデン × 1985 ×
四環系 マプロチリン ルジオミール 1981 ×
ミアンセリン テトラミド 1983 ○2002年入院中使用。口渇がひどく脱落。
セチプリチン デシプール 1983 ×
トリアジロピリジン系 トラゾドン レスリン 1991 ○2001年使用。あまり有効ではなかった。
第三世代 SSRI フルボキサミン デプロメール 1999 ○2001年10日余り使用。転院したので中止。
パロキセチン パキシル 2000 ○2001年〜2002年に使用。余り有効ではなかった。
SNRI ミルナシプラン トレドミン 2000 ○2001年使用。あまり有効ではなかった。
その他 スルピルド ドグマチール 1979 ○2001年から使用、現在も服用中効き目は不明。
メチルフェニデート リタリン 1958 ×

※武蔵病院医薬品集第7版(2003年)に収録の有無

山田和夫,抗うつ薬の選び方と使い方,南江堂,(2006)より引用改変


上の表は2004年10月現在国内で使用できるすべての抗うつ薬だ。ほかに2006年7月に導入されたジェイゾロフトがあるが今のところ十分量の2分の一程度しか使用できないので武蔵病院では導入していないとのこと。


2006年8月15日火曜日

朝 6:30 散歩に出たときは曇りだったが渡り廊から外に出たとたんに霧雨が振り出した。59キkgの壁突破記念にセブンイレブンで甘いもの買って食べようと思っていたが、雨が強くなって何も買わずに廊下に戻った、そして渡り廊下を2往復、歩くのが速くなったのか 6:55 に病棟に戻る。

今回使った抗うつ薬はアモキサン、トリプタノール、トリプタノール+リーマス、トフラニール+リーマスとなっているが手順から言ってアモキサン+リーマスの方がよかったのではないかと思う。前回トリプタノールが著効示したという情報を話したのでまずはトリプタノールに戻すという選択になったわけだが、山田和夫,抗うつ薬の選び方と使い方,南江堂(2,004年).60ページには、難治性うつ病について次のような記述がある。

  1. すなわち1〜2種類の抗うつ薬を十分量、十分期間使用し改善が得られない場合。
  2. 抗うつ効果増強療法
    1. リチウム併用
    2. T3,T4製剤の併用
  3. 使用歴がない、あるいはあっても使用量、期間が不十分と考えられた抗うつ剤への変更
  4. 電気痙攣療法(ECT)
  5. その他抗うつ剤の併用、他の抗うつ効果増強を療法、経頭蓋磁気刺激など(引用終了)

まずリチウムを使い、次は使ってない抗うつ薬を使うというのがセオリーなのだ。

私の場合でいえばまずリーマス+アモキサン。効果がなければ水にリーマス+ディプロメールへの変更。それでも効果がなければテトラめどを追加となる。それでも効果がないほかの抗うつ剤を試すかECTを行うか。素人にも分かる単純なアルゴリズムだが、精神神経科のうつ病治療ガイドラインはないのだろうか。


まあいいや、今のところ手指の震戦がある程度でたいした副作用はなくきている。8月20日からはトリプタノールがゼロになりトフラニール150mg/dayにとなる。そうなればトフラニールの真価がわかる。セオリーからは、外れたがキー局はリーマス題するトフラニール+スルピルドどうするヒルナミンになったわけだし。


2006年8月16日水曜日

今日も霧雨。渡り廊下を2往復した。

薬剤名で武蔵病院で使われているが、一般に使われているものと、異なるものがあるのでまとめておこう。

スルピルド=ドグマチール

ヒルナミン=レボトミン

フルニトラゼパム=ロヒプノール

このうちスルピルド(ドグマチール)は胃かいよう・十二指腸潰瘍の薬から転用されたもので日本だけで多用され海外ではほとんど使われていない抗うつ薬だ。

今日は水曜日だが人員の問題で普段木曜日のリネン交換を前倒しに今日行った。

今日のオープンレクチャーはT先生の抗うつ薬について。

項目を抜き出すと。

  1. なぜ服薬するのか
  2. 薬の種類
  3. 副作用
  4. いつまで薬を飲み続けるのか
  5. 薬をきちんと飲むための工夫

初心者な向けのわかりやすい丁寧な説明だった。


2006年8月17日木曜日

朝、散歩に出たときは曇りだったがセブンイレブンで念願のシュークリームを買って屋根がついている休憩所でそれを食べていると霧雨が振り出した。328 k calとシュークリームの袋に書いてあった。久しぶりに甘いものを食べた。うまかった。


入浴日なので体重を計った。57.2kg。58 kgの壁はないようだ。3日で1 kg下がった。もう壁はないのだろうか。

このペースで減量すればあと1週間で55 kgの目標を達成するのだが、そんなに簡単にいかない気がする。また目的の達成後その体重をキープするにはどのくらい食べればよいのだろう。さらに問題は体重が下がったがウエストサイズはあまり下がっていないということだ。

体重が下がればぜい肉が減るのではないかと思ったがそうではないことも分かった。

家に帰ったらamazon.co.jpで信頼の置けるダイエットの本を探して実践しよう。


2006年8月18日金曜日

5:00に起床。紅茶を入れて6:30を待つ。6:30と同時に洗濯順番表に書き込み散歩に出かける。

洗濯順番表に異変があった。「仕事のため毎日18時Yが使えますよろしく」がきれいに消されている。

本人が家したのだろうか、あまりなさそうだ。Nさんは宿直ではないし、まあ、どこかに「正義の味方」がいたのだろう。


話を戻して、もう敷地内の道はほとんど行ってしまったので順列、組み合わせで約30分、コースを毎日変えている。今日は6:31に出発して7:07に戻ってきた。

初めは一筆書きを狙ったが制限がきすぎてあまり楽しくないので、同じ道を複数回通って良いことにした。

これで行き止まりの道やループになってる日も通れるし、ある地点まで行って同じ経路を逆に戻ることもできるようになった。

同じ道でも往路と復路では、全然別の表情を見せる。それも散歩の楽しみのひとつとと思う。


2006年8月19日土曜日

朝、散歩に出かけると猛烈な空腹感に襲われた。次の壁はこいつか。このまま強引に食べないのは体に良くないと思いセブンイレブンでアイスクリームを買って食べた。朝食のご飯も半分食べた。さて何kgになるとこういった空腹感が来るのか。今日は入浴日だから後に記す。

検温したら38.1℃、熱がある。土曜日なので当直のM先生に診ていただいた。診断は風邪とのこと。解熱剤は気管支喘息があるため、ロキソニンを指定させて頂いた。

風呂に入ってよいか尋ねると、シャワーだけなら気持ちよくなり、よく眠れるから良いとのこと。

シャワーを浴びてきた体重は57. 4 kg。0. 2キログラムの微増。この体重計は小数点以下は偶数しかでない。感量0.2 kgなのだ。落とし物を脱衣場で拾ったので、ナースステーションにもって行くと、「その熱で風呂に入ったんですか?」、「ええ、ドクターがシャワーだけなら良い。」とおっしゃったので。

十字架の付いたネックレスを届けた。

14:00過ぎに妻と2人の子供が面会に来た。先日1泊2日出かけたときの写真をノートPCで見せてもらった。音声入りの動画を見ていたら「看護師に「一応病棟内ではPC使用禁止という決まりになっていますので」と注意された。お土産に持ってきた酒饅頭、クッキー、水ようかん、たて続けに甘いものを食べた。これは太るな、でもおいしい。


2006年8月20日日曜日

熱は下がった。頭痛も治まった。怠さだけが残った。6:00に起床したが散歩は休んだ。朝の散歩を休むのは院内外出が許可されて以来初めてのことだ。でもを体が嫌がっていることを無理にやってはいけない。

朝食からダイエットは再開した。またお腹がすいてストップがかかるまでやってみよう。

眠気が強かったので12:30〜13:00まで昼寝した。昼寝もし久しぶりだ。

明日で今のトリプタノール/トフラニールの移行処方は終わり8月20日からはトフラニール150mgに変わる予定だ。よくても悪くてもmECTを受けずに退院しようと思う。ここには、アンプリットもスルモンチールもない。AクリニックのO先生にお願いして通院で替えてもらうことにしよう。


2006年8月21日月曜日

2:00am, 4:00amと2回起きたが、再入眠して6:00amに起床した。散歩にも行ってきた。風邪はすっきり抜けたようだ。


入浴日なので、体重を計った。57.0 kg。8月19日から0. 4 kg減少した。


休暇明けのS先生が、尿の出が悪いことを心配して、あまりひどいようなら副交感神経刺激薬剤を検討する旨だったが今のところそれほど苦痛ではないので保留にした。

口渇の話になったので、トリプタノール単剤の時より、現在のトリプタノール75 mg、トフラニール75 mgの方が軽くなったことを伝えた。次の処方せんが届いたトリプタノール75 mg→25 mgトフラニール75 mg→125 mgと変化している。予想より慎重に移行している。

寝る前
スルピルド25 mg 1 1 1 0
デパス1 mg 1 1 1 0
マグラックス330 mg 2 2 2 0
トリプタノール25 mg 1 0 0 0
リーマス200 mg 1 1 2 0
トフラニール 1 2 2 0
フルニトラゼパム2mg 0 0 0 1
ヒルナミン5mg 0 0 0 2

8月22日から8月24日の3日分の処方で25日からはトリプタノール0、トフラニール150 mg/dayになるものと思われる。


2006年8月22日火曜日

自宅の光電話がまた不調らしい。WBC V110 「M」のファームウエアにはバグがあるようだ。先日、不調になったときはハードウエアを新品と入れ替えてもらったが、まったく同じ症状がまた生じている。

症状は次のようなものだ。

  1. 不定期低頻度で発生する。
  2. インターネットには正常にアクセスできる。
  3. 光電話は送受とも不能になる。
  4. パワーオンリセットをしても復旧しない。
  5. PCからルーターの設定画面に入り、再起動すると復旧する。

今回は息子がNTT東日本とかけ合って別の機種のルーターに交換させるのに成功したらしい。このあたりの交渉力は学校のシステム管理者として場数を踏んでいる息子の方が得意かもしれない。

腹から胸にかけて発疹が出た。怪しいのは昼食のカニシューマイのつなぎだが、原因解明より治療だ。ナースステーションに行き、事情を説明しS先生を呼んでもらう。連絡はすぐついたが、S先生は来ない、1時間たっても、2時間たっても来ない。16:30になってようやくいらっしゃって、抗ヒスタミン剤を出すことになった。S先生が時間にルーズなのは看護師の間でも有名らしい。

次の処方はトフラニール150 mg、トリプタノール0 mgになることを確認した。

持参した2002年6月のMRIの話題についてば後日時間をとって説明するとのこと。それほど重大な問題だろうか、あるいは、今手が離せないほど忙しいのか、とりあえず後者を選択しよう。

発疹に処方されたのはタベジール。朝食後と寝る前各1錠だった。4日分処方されている。


2006年8月23日水曜日

発疹はまだ消えない。食物アレルギーではないようだ。食物アレルギーならば私の場合、食後30分から2時間で現れ、翌日には消えている。処方に変化はあったにはあったが、薬剤の割合が変わっただけで新規に追加されたものはない。結局原因は分からないが、抗ヒスタミン剤のタベジールを飲んで4日間我慢しよう。


今朝は散歩にでかけようとしたときに看護師のSSさんに声をかけられた。

「見るたびにやせていくので看護師の間で噂になってるんですが何かやってるんですか。」、

「実はダイエットしてるんです。」

「エー、太っていないのに。」

「腹の出っ張りを何とかしたいので。」

「あまりやりすぎないでくださいね。」

「入院時が60.4 kgで、いまが57.0kg、55 kgを目標にやっています。」


通常は木曜日の入浴日が今週に限り、本日水曜日に変更された。例によって体重を計った。56. 2 kg。目標値まであと1.2kg、軟着陸する手順を、考えないといけない領域に入ってきた。だからといって60.4kgの時に食べている量ではリバウンドする。

少しずつ食料を増やして安定するところを探そう。とはいうもののわが家には壊れかけたアナログ体重計があるだけだ。まともな体重計を買うところから始めなくてはならない。

56 kg達成記念に「ヤマザキまるごとバナナ」を買って食べた。美味しかったけど、さすがに重い。55 kg達成時には別のものにしよう。


2006年8月24日木曜日

9:30ぐらいから11:00ごろまで爆睡してしまった。発疹はまだ治らない。

8月25日からの処方せんが届いた。

寝る前
スルピルド25 mg 1 1 1 0
デパス1 mg 1 1 1 0
マグラックス330 mg 2 2 2 0
リーマス200 mg 1 1 2 0
トフラニール 2 2 2 0
フルニトラゼパム2mg 0 0 0 1
ヒルナミン5mg 0 0 0 2


予定通りトリプタノールがなくなりトフラニールが125 mgから、150 mgに増加している。

発疹の痒み止めに強力レスタミンコーチゾン軟膏が出た。ステロイドだから注意して使用しなければならない。


2006年8月25日金曜日

発疹はまだ治らずかゆくて困る。軟膏もかゆみを取る力はないようだ。内服薬のタベジールも明日の朝の分でなくなってしまう。

看護師のNさんに、その旨を伝えた。本日中に処理しないと土日に入ってしまう。

Nさんから、S先生は休みなので、別の医師が薬を処方するように依頼しておいた旨連絡があった。


発疹の方はともかく、うつの方だが口渇が軽くなったのは、うれしい。気分はいまひとつのところで、フラフラしている。でもトリプタノール+リーマスより効いている感じだ。


アモキサンはどうか、アンプリットはどうか、AクリニックのO先生と相談してみよう。でも結局やってみないとわからないんだよなぁ。


2006年8月26日土曜日

昨日、夕食時にオレンジの果汁をズボンにつけてシミを作ってしまった。応急処置はしたが目立つ。病院に出入りしている新井クリーニング商会に電話した。洗濯物を火曜日に取りに来て金曜日に仕上がりがスケジュールという。仕方なくOKした。


入浴日なので体重を計った。55. 8 kg。ついに55kg台に入った次に維持体制に入らないといけないのだが、全然プランがない。どうしたものだろう。


洗濯屋の件だがスーパーマーケットエコスにファミリーショップが入っていることを思い出した。早速持っていくとシミ抜きは月曜日になるというとりあえず600円までならになってほしい。それを超えた場合は電話での打ち合わせでというふうにして、普通のドライ料金を430円を払ってもどってきた。新井クリーニング商会にはキャンセルの電話をした。

自宅にはファミリーショップという洗濯屋から電話かあったら、600円超えなら普通のドライクリーニングで、600円以下ならシミ抜きで、仕上がりの電話ならこっちに電話連絡とを伝えておいた。

シミ抜きの場合、試合までに10日ほどかかるらしい。それまで入院しているだろうか。しているな多分。まだまだ外泊していないし、MRIの所見も聞いていない。まず来週末あたりにし自宅に外泊して、様子を見てそれから退院の日程の調整だ。


ちょっと待て。外泊にはいていくスラックスがない。ファミリーショップに電話し通常のドライクリーニングにに変更してもらった9月1日に仕上がるそうだ。

そんなことをしている間に自宅から電話ありシミ抜き5つ500円程度だというのでゴーサインを出しておいたとのこと。ウーム混乱を起こしそうな状況だ。果たしてどうなるか。


2006年8月27日日曜日

発疹はだいぶ引いてきた。見た目も色が薄くなったし、なんといってもかゆみが治まってきた。痛いのも嫌だけれどもがまんできる。かゆいのは寝ている間に掻き壊したりするし、どうにも我慢できない。それにしても原因は何だったのだろう。


主治医のS先生に手紙を書いた。薬物療法で十分回復した

ので、mECTなしに退院したい旨だ。それにしても7月24日にmECTの延期をお願いして、ずいぶん遠回りしたが、トフラニール+リーマスという処方を見つけることができた。


mECTは去年2005年7月に受けているので、私にはよく効きことは分かっている。しかし効果に永続性がなく再発の可能性が高いことも知っている。今回は維持薬を探すための薬剤療法を続ける決心をしたが、結果としてmECTに比べられるほど良い薬物療法を見つけることができた。


S先生の功績は大きいが、私の気の迷いがとんでもない方向にエピソードを塗り替えた。7月24日にmECTを選択しても、今頃は8回のmECTを受け退院準備をしていうだろう。もしかして、そっちの方が気分的にはよかったかもしれない。しかし電気切れ起こすmECT より長期間使える薬物療法を選んだことに悔いはない。


2006年8月28日月曜日

入浴日で体重を計った。かわらずの55.8 kg。実は「ブレーキ」をかけてみた。なんとかコントロールできそうだ。


S先生がいらっしゃって「退院。いつでも良いですよ。奥様と相談して日時をご連絡ください。」

あまりに迅速な結末に驚いた。試し外泊はしなくて良いのか?

「何かほかに困っていることはありますか?」

「お腹の発疹がまだ治らないことと、MRIの所見を伺ってないことですね。」

「発疹は軟膏で何とかなりそうですね。MRIの所見は退院のときお話しましょう。」

妻に電話した。試し外泊がないことにやはり驚いている。保険の書類を郵送してしまったとのこと。私もスラックスをクリーニング店に出してある。それやこれやで8月31日に退院することにした。

それまでに郵便は届く。クリーニングは9月1日納期なので、着払いの宅配便で送ってもらおう。


クリーニング店にお願いに行った。店の人が工場と電話連絡をして有料シミ抜きありで8月30日仕上がりにしてくれた。ダメもとでも相談してみるものだ。ありがたい。


2006年8月29日火曜日

今朝1番に血液検査のための採血があった。また9時すぎに心電図を取った。昨日は胸部X線撮影があった。退院準備かと思って目的を尋ねると長期入院患者には一定期間ごとに治療による悪影響が出ていないかを確認しているとのこと。


もう7月11日の入院から50日になる。退院まであと2日、52日間の入院となる。去年この病院にmECTのために入院したときは42日間だった。52日間は自己新記録だと思う。


服薬の自己管理がもう1ステップ進んで(パターン3)になった。薬を数日分まとめてもらい自己管理して決まった時刻に決まった量を服薬するというものだ。要はパターン2の「看護師の前で服用」だったものが自室で服用をに変わったわけだ。


2006年8月30日水曜日

健康保険標準負担額減額認定証持って病院の窓口へ行った。実は昨日午後にも窓口にいったのだが

「えー、それは社会保険事務所へ行ってください。」

「その社会保険事務所からきたんですよ。」

「では退院時手続きのとき提出してください。」

「…」


全く理解していないので本日の午前中にあらためて行ったのだ。

「これはどの窓口でしょう。」

「ここで結構です。」

書類を確認し、コピーをとり原本返した。

「それと明日、退院間のですが支払い額のを概略はわかりますか。」

「18〜19万円です。」

やはり窓口業務はこうでなくてはいけない。昨日は早々に引き上げて出直してきたのは正解だった。


エコスへ行ってガムテープ、ビニール袋を買いにクリーニング店に行ってスラックスを回収してきた退院の荷造りにようだ。

オーブンレクチャーが開かれたソーシャルワーカーのK先生が「高額医療費と障害者自立支援医療」をテーマに講演した。私はだいたい知ってることだったが、参加者から盛んに質問が出ていた。


2006年8月31日木曜日

退院にの朝を迎えた。入園の時、目てきた荷物に加え、途中で送ってもらった物、こちらで買ったものなど、相当な量の荷物がある。妻にキャスター付きの大きなバックを持ってくるよう頼んだが、収まるかどうか不安だ。今日は散歩はしないで荷物整理に充てる。

退院時の体重測定を行った。着衣のままで55.4 kg。

いつもは風呂の時に丸裸ではかっているが、今日は、長ズボン、シャツ、外出用の服を着ての測定だ。少なくみても0. 4 kgにはなるだろう。四捨五入して、もしなくても55 kgを突破したと思う。

荷物の詰めかたには少々自信がある。9:45ごろ、息子と妻がキャスターバッグを持ってやってきた。大きなものから順に大きなバッグに詰めて行く、10分余りで、大方詰め終わった。

大型のバッグ2個と、それよりさらに大きいキャスター付バッグだ。

息子が来てくれてよかった。二人でこの荷物を持って電車で帰るのは容易でない。


体重の変遷をグラフにしておく。

⇒続く


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