まだまだ・鬱な日々 3度目のmECT


「鬱な日々」入り口

mac's Junction


2009年7月1日水曜日

国立精神・神経センター病院(NCNP)には4回目の入院となる。過去3回の内2回は修正型電気痙攣療法(mECT)を行った。今回もmECTを行う。8:00に家を出発し、9:30にNCNPに到着した。入院手続きを済ませて、3-1病棟に向かう。3-1病棟はうつ・ストレス連鎖男女混合開放病棟だ。

この病棟も来年4月に新館が完成すると役割を終えるらしい。入院についての説明と同意、mECTについての説明と同意、採血、既往症についても質問、持ち物検査、身長体重測定はいつもと同じだった。担当看護師のMさんは、2年前もいて私のことを覚えていた。11:00に送ってきてくれた妻が帰った。11:30から昼食だが、アレルギーによる「禁魚」のため間に合わず11:45に運ばれてきた。普通食では黒ムツとなっているところが、豚肉のソティーとなっていた。私はアレルギーがあるので、食事はいろいろ厄介である。

食事のルールが変更されていた。2007年までは、保温保冷ワゴンで栄養部から病棟に運ばれてきて看護師が配膳し食事が終わると各自残飯を捨て、食器をかごに重ねたが、今は残飯を載せたまま、片付け専用のワゴンにトレーのまま収納するようになっていた。

13:30検査に呼ばれる。脳のX線CT、胸部X線撮影、腹部X線撮影、心電図、4回目なので場所は分かっている。1人で行って検査を受けて病棟に戻った。

14:00 オープンレクチャーとして、作業療法士のT先生が椅子に座ったままでできるストレッチについてレクチャーした。参加したのは10人位。私のほかは全員女性だった。40分ほどのレクチャーだったが汗ばむほどだった。

「うつ病患者の服薬への態度と信念の変化と特徴」という研究が行われていた。日本語BDI-IIとアンケートに2週間置きに回答することに同意した。

mECTにあたって静脈血栓塞栓症の予防処置として弾性ストッキングの着用が導入されていた。これも2007年にはなかった。足首の太さを測り TORAY Fine Support FS-S-MRを選定する。

17:15 Mさんが、準夜看護師の交代の挨拶に来る。こんなことも2007年にはなかった。


2009年7月2日木曜日

23:00,2:00,4:00に中途覚醒し5:00に起きた。 採尿してナースステーションに届ける。 2年前トイレの個室はひとつが和式、もう一つがウオッシュレットだったが今は両方ともウオッシュレットに代わっていた。

昨日飲んだ下剤、ラキサベロンのせいで腹が痛い。NCNPは全館禁煙になり喫煙室は撤去されたが精神科病棟は例外的に喫煙室が残っている。 但し 2年前は仕切りだけだったものが今はドアがついて完全に分離されている。

朝食に魚の練り物が出た。 やはり禁魚だけではだめで、「禁魚、禁練り物」と指定しないと駄目なようだ。 それにしてもご飯の量が多い。1700kcalダイエット食に変えてもらおう。

今朝の処方からリーマスがなくなった。 mECTにはリーマスが禁忌とされている。その前準備である。

Mさんにダイエット食と禁練り物の件をお願いする。 1700kcalではなく1600kcalとのこと。記憶違いのようだ。

10:40入浴。月、木、土が入浴日となっている。 普通の風呂とそれほど違いはないが、鏡がない。 危険防止からだと思うがひげそりにちょっと不自由だ。 なお病室に剃刀は持ち込めない。ナースステーション預かりで必要な時だけ出してもらう。 ほかに携帯電話も持ち込めず充電もできない。構内外出時に出してもらい乾電池式充電器を使う。

昼食時に夕方行うストレッチに誘われた。でも今は参加する気分ではない。

14:20 K先生が病室に来てうつ度合いを調べる問診をした。 BDI-IIに近いものだが調査への参加は任意なので、それとは別に行っているらしい。

今回は 7号室二人部屋に入院している。3-1病棟には個室から 6人部屋まであるが差額ベッドは取っていない。 同室の Sさんとは話しをしたことがない。医師と Sさんの会話を聞いているとかなりひどい強迫性障害のようだ。

食事をするホールに置かれた TVは地デジ対応のアクオスに変っていた。 病室のTVは前のままだった。これは、TVカードを買ってイヤホンをさしてつかう。 私は家でもあまり、TVを見ない。TVカードも買っていない。

あす 7月3日は初回mECTとなる。注意書きが届いた。

処方せんも届いた。

  寝る前
マグラックス錠330mg 1 1 1  
フルニトラゼパム錠2mg「アメル」       1
アモキサンカプセル25mg 3     3
エビリファイ錠3mg 1      

入浴日は月木土だが夏季にはシャワーが使える。 今日の夕食時に詳細が発表された。

日曜と入浴日を除く毎日で 9月末まで。10:00から10:45、10:45から10:30男女入れ換えとなっている。


2009年 7月3日金曜日

昨夜はよく眠れなかった。21:00に寝ついたものの 22:00に中途覚せいし、23:00にも起きる。 追加の睡眠薬ヒルナミン5mgをもらったが1:30、3:05にも中途覚せいし、そのまま 5:00まで寝られなかった。

6:30起床。今日も朝食はmECTのため食べられない。

7:00からのラジオ体操に参加、ラジオ体操第一第二行う。

9:10検温 36.5℃ 

9:30 血圧測定137/97mmHg

10:10トイレに行き術衣に着替え弾性ストッキングをはく mECTの順は本日最後とのことだった。

12:15麻酔から覚める。軽い頭痛のする。mECT初回はいつもだ。 12:30いつもより1時間遅い昼食を食べる。

13:00洗濯をする。洗濯機はコイン式で一回\150。乾燥機は30分 \100。 以前は外に天日干しもできたが物干しがなくなっていた。30分で乾いた。

mECTの手順が 2年前とは異なっていた。以前は病室で点滴を始めストレッチャーに乗って移動したが、 今はストレッチャーでECTユニットに移動してから回復室で点滴をして手術室に入るようになっていた。

これは、体に貼り付ける電極だ。片面は配線をとめるホックがあり、もう片面は粘着面になっている。

手順は次の通りだ。

  1. 病室で順番を待つ。
  2. トイレを済ませる。
  3. 看護師が届けてくれた術衣に着替え弾性ストッキングをはく。
  4. ストレッチャーに乗り看護師が引いて渡り廊下を移動し3号棟のとなりの4号棟にあるECTユニットへ行く。
  5. 回復室でソルアセトDの点滴、心電図、脳波、ECT電極を取り付ける。
  6. 手術室に入り電極に配線を取り付け血圧計をつける。
  7. 麻酔医が点滴ラインから麻酔薬(ディプリバン)を注入し麻酔をかける。(2年前はケタラールだった)
  8. 上の写真の電子装置パルス波治療器 サイマトロン© [Thymatron©]でこめかみに付けた電極に電流を流す。
  9. 電極を外し酸素吸入チューブを付けストレッチャーに乗ったまま病室に戻り、看護師がベッドに寝かせる。
  10. 麻酔から覚めたら水を飲み異状がなければ食事をする。

軽い頭痛と顎ふくらはぎの筋肉痛がする。今朝のことが遠い昔に感じられる。

1回目なので効果は感じられない。どちらかといえばかえってだるい。 効果が出るのは前の経験から2〜3回mECTを行ってからだ。


2009年7月4日 土曜日

21:00に寝付いたが2:00に目覚めてしまい、朝まで寝られなかった。

寝不足だが気分は良い。家では朝まで寝られるのに、同じフルニトラゼパム2mgを飲んでも中途覚醒早朝覚醒してしまうのはどういうわけだろう。

睡眠薬をドラールに変えてもらおうか。

構内を散歩してみた。2年内は広々とした散歩道だったところの大半が工事中区域となり、歩けなくなっていった。大規模な改装工事が行われている。来年4月完成予定だ。

食事の時に出る牛乳のかわりににヨーグルトにしてもらうお願いをする。家で、毎朝ヨーグルトを食べていたので、ここでも一食はヨーグルト付きにしたかった。


「 ECTやられているんですね。」

ホールで女性に声をかけられた。手術用リストバンドをつけたままにしているので、わかる人にはわかる。

「はい。これで3回目なんです。」

「効いてきましたか?」

「あっ、すいません。2005年と2007年にやって、今年は、3クール目という意味です。今回はまだ。1回しかあてていません。」

「何回も予定ですか?」

「たぶん8回。」

「私は10回やったんだけど、駄目だったんです。ほんの数日よくなったんだけど、また落ち込んじゃって。」

「それは残念でしたね。私はmECTは良く効くんですが、再発を繰り返しちゃって。」

「いいじゃない、効くんだから。」

「でも長くて2年ですよ。」

「2年も効くのなら、うらやましい。私は待つだけ。」

「自然に治るんですか?」

「ええ。突然よくなって、若葉の緑を見るだけで、『おお!』と声が出るほど感動しちゃうの。」

「双極性なんだ。私はうつばかり。死にたくなるんです。」

「『死にたくなったら、すぐ入院』と主治医に言われたわ。」

「それで入院したんですが。」

「しかし、いやな病気よね。寝たきり、動けなくなって、楽しいことが、何もなくなっちゃうんだから。ほんの些細なきっかけで。」

「思い当たるきっかけがあるんですか?」

「あるわよ。本当につまらないことだけど。」

「私には、思い当たりが無いんです。ある日突然という感じで。坑うつ薬がきかないんですよ。最初の1年はSSRIのパキシルやSNRIのトレドミンを1年、飲み続けたけど悪くなる一方で。」

「1年は長いわ。」

「それぞれ埼玉医大に入院して。その時は、トリプタノールが少々効いたのですが、再発したときは効かなくなっていて杏林大でTMSをしてもらったんです。」

「TMSは保険がきかないんですよね。」

「ええ、杏林はそれで『実験』として無料で、TMSをやってるんです。でもTMSを受けられるのは、1回きりで、すぐに、再発してしまったので、NCNPでmECTを受けることにしたんです。」

「ここを知ったのは、やっぱりインターネットが何か?」

「ええ、自分で検索して見つけました。」

「でもmECTが、効いていいわ。」

「完治するならいいけど、再発するんでねえ。」

「完治する人いるのかしら?」

「いるにはいるみたい。」

「うらやましい。再発しても効くことが分かっているだけでもうらやましい。」


2009年7月5日日曜

20:30には寝たが2:00に起きてしまいヒルナミン5mgを飲んだ。それでもだめで、2:55にもう1錠ヒルナミンを飲んだが結局だめでそのまま朝になってしまった。2:00起きは2日連続だ。

6:40から散歩した。精神科病棟が、例外的に喫煙できる制度は、新館完成で廃止になり全面禁煙になることをポスターでしる。私は、20年以上前に、禁煙し、今でもタバコを吸わないが、入院患者の中には、ニコチン依存症の人も多い。全面禁煙にしてしまって、本当に大丈夫なんだろうか?

笹の葉がホールに飾られ、七夕の準備がされている。短冊には何と書こうか?

変わったことといえばもう一つ。トイレ、流しのペーパータオルがなくなり、ハンドドライヤーになった。手を乾かすには、まあよいが、洗った箸やスプーンをふけないのは不便だ。


2009年7月6日月曜日

昨夜は、20:30に寝て、0:20に中途覚醒し、ヒルナミン5mgを飲む。眠れぬまま2:05にもう1錠のみ4:00〜6:00に寝た。

I先生と睡眠薬の相談をした。S先生の意見で、前に飲んでいたテトラミド30mgを復活させる案が出た。 あまりに効いていた感じがしないので、フルニトラゼパムを別の長時間型睡眠薬に、代えられないか聞いてみたら、「睡眠薬は個人差が大きく、選定が難しい。長時間型にすると、今度は昼まで眠気が残る危険性もある。」とのことだった。 このままではきついので、テトラミドを飲むことにする。

看護学校の学生さんの実習に付き合うことになった。本音を言えばまだ調子が上がってこないし、寝不足なのできついのだが、私の娘も、看護学校に通い、実習でお世話になっている。お互い様で承諾した。


2009年7月7日火曜日

昨夜は20:30に寝て1:45に中途覚醒し、ヒルナミン5mgを飲む。3:35までねられたが、そこから朝までねられなかった。やはりテトラミドはあまり効かないようだ。

今日のmECTは、8人中6番目だ。学生さんはECTユニットまで見学に来た。

ECTユニットで、担当医師に話しかけられた。

「mECTは何度目?」

「今回は2度目です。前に2クルーしているので3クルー目になります。」

「効きますか?」

「ええ、よく効きます。でも再発してしまうのです。」

「良く効けばいいじゃないですか。たまに温泉にでも行く気分で入院すれば。」

とても温泉気分で入院する気にはなれない。しかし、mECTが効いてくる感じは、温泉よりも爽快な感じだ。今日は、それが実感できた。

確かに、薬も、mECTも効かない人に比べれば、mECTだけでも効くのは幸運かもしれない。


2009年7月8日水曜日

昨夜は3:10に起きてしまい、3時を過ぎていたためヒルナミンをのめずにデパス1mgを飲んだ。ヒルナミンで眠れなのだ。デバスで眠れるはずもなし、ウトウトしている間に、朝になってしまった。 S先生に睡眠薬を変えてくれよう手紙を書いたが、I先生づてにもう1晩、今の薬でやって欲しい旨だった。

ラキサベロン10滴とともに薬を飲んで寝る。


2009年7月9日木曜日

昨夜は、4:25までねられた。約7.5時間でこれまでの最長だ。

mECT中は、なるべく処方変えない方針らしい。と思ったら、午後になってテトラミドをもう1定追加し、60mgにする連絡があった。でも、テトラミドでは眠くならないみたい。「別の睡眠薬」を試してみたかったけど、7.5時間ねられたので、まあいいか?」


2009年7月10日金曜日

21:00消灯とほぼ同時に寝つき、23:55に中途覚醒、0:10に、ヒルナミン5mg飲んで再入眠、2:15に再び中途覚醒したが、ヒルナミン5mg飲んで、すぐに寝付き、5:50に起きる。約8時間40分ねたことになる。中途覚醒したとき、朝起きたとき、しゃっくりが、かなり長く出た。漢方薬の呉茱萸湯(ゴシュユトウ)が、よく効くのだが持ってきていない。自然にとまるの待った。

今日のmECTは、9人中2人目。3回目になる。ECTユニットでO先生が、このブログを読んでいることを知る。mECTが、確かに効いてきたようだ。希死念慮がなくなり、復職への具体的プランが見えてくる。それと同時に、再発の不安と、復職に対する不安も現実化してきた。


2009年7月11日土曜日

2:20におき、ヒルナミン5mgを飲み、5:20に起きたほかは、21時から6:30まで、熟睡した。眠りの質、量と、うつ度合いには相関がある。最長の眠りを更新した。

妻が面会にきた。家のサーバーが止まってしまったという。CD−Rからのブートをメモ書きしてサーバーの中に入れたはずだがないという。そういえば出して使い、そのままにしてしまった気もする。


2009年7月12日日曜日

0:00に起きヒルナミン5mgを飲んだほかは21時から、6:30まで、寝ていた。ことによると、今年3月に、テトラミドをやめなければ、今回の入院は無かったかもしれない。

家のサーバーの件は、私が家に戻るまでダメかと思ったが、息子が帰省して、修復してくれた。私が家にいることを前提に運用しているので、不在の時トラブルが起きると、処置のしようがない。


2009年7月13日月曜日

前日に寝すぎたためか寝にくかった。21時に寝たものの23:25、1:50に起きて、ヒルナミン5mgを飲んだが、5時前に起きてしまった。

部屋の移動があった。7号室から5号室へ2人部屋から4人部屋に変更になった。7号室は、女性部屋になるという。


2009年7月14日火曜日

なかなか寝付けなかったが22:30、0:00にヒルナミン5mgを飲んで5:45まで寝た。4回目のmECTの日となる。10人中6人目でだいぶ待たされた。


2009年7月15日水曜日

mECTも4回を終わると大分効いてくる。

21:00、5:40に中途覚醒したがヒルナミンは飲まずに7:10まで寝られた。

オープンレクチャーとして器楽ミニコンサートがあった。リコーダー、何か、オカリナの演奏、打楽器やトーンチャイムでの参加、歌の斉唱などがあった。

2回目の日本語BDI-II、「鬱病と坑うつ薬のとらえ方」調査に回答する。


2009年7月16日木曜日

21:15ごろ眠り1:15ヒルナミン5mgを飲み、3:05短時間目覚めた後5:50起床。

活動性がだいぶ上がってきた。明日より服薬が自己管理となる。1週間分の処方をまとめて渡し、時期が来るごとに袋から出して看護師の前で服薬するものだ。前の入院でも後半にやったことがある。この入院も後半に入った。


2009年7月17日金曜日

21:15ごろ眠り23:25、2:00にヒルナミン5mgを飲み、3:25にも起きたが再入眠でき6:30まで寝た。

5回目のmECTの日である。12人中8人目、午前中最後の順となった。

午後、I先生のオープンレクチャーが予定されていたが、参加者が集まらず開催されなかった。


2009年7月18日土曜日

21時ごろ眠り1:15ヒルナミン5mg飲んで5:50に起きる。

よく寝た気がする。昨日ECTユニットでS先生に

「効いてますか?効きがよくなければ電気を強くしますが。」と言われ答えに困った。確かに効いてはいる。でも「電気を強くする。」とさらによく効くのかわからない。とりあえず今まで通りにしてもらったが、強くすべきだったか。


2009年7月19日日曜日

21時に寝て23時にヒルナミン5mgを追加6時まで寝る。家より健康保険限度額適用認定証ほかが届く。

シャツの第2ボタンが取れてしまい看護師のNさんに直してもらう。


2009年7月20日月曜日

21時に寝て22:20ヒルナミン5mgを追加し5:45まで寝た。

同室のSさんは大いびき、Hさんは大寝言の人だ。眠い。

明日の6回目のmECTは11人目。初めての午後の治療となった。


2009年7月21日火曜日

21時に、23:50ヒルナミン5mgを追加し7:10まで寝た。

学生さんとカレンダーづくりのオープンレクチャーのポスターを千切り絵でつくる。折り紙に久しぶりに触った。

今日のmECTは14時から始まり麻酔から覚めたら15:30だった。昼食ではなく軽食をとる。コールの冷蔵庫にさっき作ったポスターが飾られていた。


2009年7月22日水曜日

21時に寝て3:55に起きたが薬はのまず再び寝て6:45に起きた。最もよく寝た夜ではないだろうか?

皆既日食の日だが全国的に雨模様である。

医事課に行って限度額を問い合わせる。大きな検査がなければ120,000円とのことだった。退院が近づいてきた。7月28日の第8回mECT の 翌日、7月29日以降はこちらの都合によりいずれも可とのことである。


2009年7月23日木曜日

21時前に寝て1:50ヒルナミン5mgを飲み再入眠、3:45に中途覚醒して今度は薬を飲まず再入眠、6:20まで寝る。

学生さんともカレンダーづくりの本番。予想以上の盛況で力作が制作された。

明日のmECTは午前中となり明日の朝食は食べられない。7回目のmECT。このクルーもあと2回となった。

部屋にメンバーが1人加わり定員の4人となった。Aさん。果たして大いびき、大寝言を上回るか?もしくは耐えられるか。


2009年7月24日金曜日

Aさんはいびきも、寝言も言わなかった。1:10に中途覚醒しヒルナミン5mgを飲んで再入眠する。S先生、I先生に7月29日退院の打診レポートをおくる。

今日のmECTは10人中8番目で午前中最後となる。

mECTの後、昼食、洗濯をする。JA共済、県民共済に提出する診断書の作成を依頼する。1通10,500円で計21,000円。退院時の受け取りを希望したが標準納期は2週間とのこと。ダメもとでS先生に相談してみる。


2009年7月25日土曜日

7月29日の退院は決まったが時刻については返答がなかった。

21時に寝て、3:30に中途覚醒し6:10まで寝た。

昨日で学生実習は終わったので今日はもう来ない。16時過ぎ妻が面会に来た。


2009年7月26日日曜日

21時に寝て3時に中途覚醒し6:30まで寝た。

睡眠パターンも安定してきたようだ。希死念慮もなくなった。


2009年7月27日月曜日

ラキサベロン10滴を飲み21時に床に入った。なかなか寝付けず22:15にヒルナミン5mg飲んで入眠。1:30に中途覚醒してもう1度ヒルナミン5mgを飲む。久しぶりに浅い眠りだった。午前中にI先生と打合せ7月29日の退院面談を10時から行うことを決定。


2009年7月28日火曜日

21時に寝て22:15に中途覚醒しヒルナミン5mgを飲み6:30まで寝る。いよいよ最後のmECTの日を迎えた。10人中9人目ということで昼食は11時間以上後にずれ込む見込みである。昼食は13時に軽食となった。朝食抜きで軽食のみなのでおなか空いた。共済の診断書は明日の退院に間に合うそうだ。


2009年7月29日水曜日

20:15に寝て4:10に中途覚醒し何も飲まずに再入眠して6:30まで寝た。

今日で退院だ。今回の入院でもmECTがよく効いて施術前に比べて気分障害は随分改善した。ただ明日から仕事にとすれば不安が残る。前前2回はうつ病で休職後復職できずに転職した。休職後の復職は初めてである。何を訓練してどういう状態になれば復職できるかよく分からない。

まずは書きためた「鬱な日々」を更新しよう。JA共済の「鬱病、そう鬱病の違い」問題もある。

今回の入院で104,826円かかった。


続く ⇒

dragon
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