鬱な日々 もしあなたが...


「鬱な日々」入り口

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現在進行形でこの話は続いているので、今のところこれでおしまい。

最後は、私が病前以上に強力に現場に復帰し、ハッピーエンドになる事を私は期待しているのですがどうなるかわかりません。

現在、おかげさまで、ほぼ完治した状態のようです。ただ、入院中に見つかった、脳萎縮が、原発性変性疾患によるものか、鬱病を発病する前からあった、それ自体病的とはいえない、無症候性脳萎縮なのかわかるには、まだ時間がかかりそうです。

すでに、退院から8ヶ月が経過しました。記銘力の低下はまったく見られません。原発性変性疾患は、やはり誤診だったようです。


もしあなたが...

このページや http://www.so-net.ne.jp/vivre/kokoro/dep0.html を読んで、自分も思い当たる節があると思った方は、是非とも早期に勇気を持って受診するべきだと思う。

私は、家庭医がいるのに相談せず、インタネットで「適当」と勝手に思ったところに駆け込んだが、これは不正解だった。

もともと、気管支喘息があるので4:00am頃、ちょっと息苦しくなって起きてβ刺激吸入薬を吸ってまた寝るというのは、だいぶ前からあり、もちろんその事は家庭医にも話したし、このごろちょっと疲れやすいような気がするというのも、5月はじめには話している。つまり全く前駆状態がなく、突然5月中旬になって早朝覚醒が始まったわけでないのは、家庭医も知っているはずである。でも、それなりの手当てしなかったのを責める気はない。

もし逆にその段階でいきなり

「精神科を受診すると良いかもしれませんね。」

と切り出されたら、私は多分驚き慌て、その家庭医との信頼関係はそれで終わりになったかもしれないとすら思っている。

そうではなく、私の方から

「ここのところ、ちょっと疲れがたまりやすいので、試しに『心療内科』を受診してみたいのですが、よい先生をご紹介いただけますか?」

と相談すればよかったと思っている。

自分が「心の病気」を病んでると言うのは、軽い冗談のつもりでも結構勇気がいるものだと思う。少なくとも私はそうだ。まして、それがちゃんと精神科を受診して、「確かに心に病気がある」と確定すると、結構それなりにショックを受けるはずだ。私の場合間違いなくそうだった。

でも、考えてほしい。自分が病気かもしれず、それなりの兆候も感じているのに「本当に病気かどうか知るのが怖くて」病院に行かないというのは、全く本末転倒の腰抜けである。

特に最新の精神医療の本を読んでいただけばわかるが、ここ近年この分野は著しい進歩を遂げ著効のある医薬品が多数開発され、多くは完治できる病気になったのだ。早期発見、早期治療が重要なのは、他の診療科と何ら変るところがない。

一方で、「不心得な姥捨山的精神病院」が不祥事を起こし、また、ほんの一部の特殊例の精神病者が、事件を起こして社会問題化している事実は確かにある。だから、行き当たりばったりに、精神科ならどこでもいいと、かけこむのはやめたほうが良いかもしれない。

心療内科、神経科、精神科の関連が良く分からない人は、私の説明の手に余るので、自分で本やインターネット上の情報を集めてほしい。

「体の調子が悪い」といえば、大抵いたわってもらえるが、「頭の調子が悪い」というと結構危ない奴だと思われる。でも、これは間違いである。頭は、紛れもなく身体の一部で、調子が悪くなれば当然治療が必要である。おまけにちょっと時間はかかるものの「歯の治療」に比べ、「痛いことをされる」ことは余りないようだ。勇気を持って「心の病気」を治療をしよう。

7月に精神保健福祉法32条のことは書いたが、確定申告をするために、2002年2月になって、医療費を計算してみた。

医院に約28,000円、薬局に18,000円が概算費用だった。これは8月から、32条の適用になって自己負担が5%になったおかげで、もしこの制度を使わなければ、この4倍かかっていたことになる。鬱病で通院する場合は、ぜひこの制度を活用しべきだと思った。

また、入院するかどうかも、結構難しい問題だと思う。

自殺未遂など、希死念慮が強ければ、本人の生命を守るため、周囲の人が閉鎖病棟に入院させる必要があるが、私の場合のように希死念慮が全くない訳ではないが、何とか曲りなりに通勤し、自分の事は自分でできる程度だと、かえって悩む問題だと思う。

私の場合は1年通院してようやく入院を覚悟したが、その場合でも、通院していた開業医、入院先の勤務医は、同音異句に「入院までしなくても、やって行けるのでは?」との旨を話した。確かに、入院しなければどうにもならない状態ではなかった。

しかし、良くなったり悪くなったりを繰り返し、会社をしばしば休みながら、半日勤務する形態での1年の通院は、私には長過ぎた。今入院を体験した後でもそう思う。もっと早くに入院して、早期に完治できると解っていれば、そうしていただろう。でも、それは誰にも予想できる問題ではない。もっとも、こう長期化してしまった原因の一つは、入院したかどうかより、長い間、同一の抗鬱剤を使い、あまり多くの薬剤を試してみなかったのが、最大の要因に思える。

もし、トリプタノールが私の病状に合うことが分かれば、発病から2ヶ月以内に、完治した可能性は高い。

「鬱病」とーロに言っても、不眠と、意欲低下が少々ある程度の物から、全く、何も自分で行動できなくなってしまう物ほど強度に差があり、一方で患者の生き方に対する考えもいろいろだろう。

ただ、知らなかったために精神保健福祉法32条の申請をしなかったり、主治医と相性が悪く充分なコミニュケーションが取れていないのに転院をためらったり、症状が満足行かない状態で変化のないまま、長期間同一の治療を受けていたり、そうした「知らぬが故」、「面倒が故」の放置は、私の生き方に合わない。

しかし、鬱病は「何かをする意欲の全て」を低下させてしまう病気だ。

私も「さあ!精神科に受診に行くぞ!」

「くそ!転院するんだ!」と節目には自分に喝を入れなんとか実行した。

できれば家族は、いち早く状況に気づき「何もできないでいる」患者に代わって、ここに記して来たようなアクションをとれたらと思う。

保険は効かず自費になるが、患者を連れて行かなくても、まず最初に家族と医師だけで相談できる精神科医療機関は結構ある。電話帳や保健所で探して欲しい。

鬱病は、再発しやすい病気らしい。私も、入院して完治したつもりだったのに、4ヶ月で再発した。(その後の経過から見て再発ではなく一時的な回復の停滞だったようだ)入院時同室だった人は、これで3回目だと言っていた。鬱病で自分自身辛い思いをしたり、回りに迷惑をかけていると、「再発した」と自認したり、他の人に告知するのは、避けたいと思う気持ちが働く。

しかし、自分に良く効く「抗鬱剤」などの処方が既にわかっているなら、かなり短時間に治療できるもののようだ。「再発」を認め早期に再治療するのが、一番良い結果を生むと思う。

入院中に見つかった、脳萎縮はうつ病とは別の問題だが、これに関しても言及しておこう。その後不慮の事故で頭を強打し、脳外科を受診した。このとき、入院中に撮ったMRIのコピーを持参し、「原発性変性疾患の疑いなどない」という、セカンドオピニオンを貰った。

こうしたことができたのは、念のためにMRIのコピーを自費であらかじめ用意していたからだ。入手できる資料は、やはり多少費用がかかっても持っているべきだ。そして、私の場合は事故で、受診したわけだが、本当なら退院直後にでも別の医師の意見を聞くべきだったと思う。


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